ZVEZDA 1/350 :Russian Cruiser Varyag                 ロシア海軍 防護巡洋艦 ワリャーグ

 ワァリャーグ -Varag− は1900年、アメリカ  ウィリアム・クランプ&ソンズ/フィラデルフィア造船所で建造された防護巡洋艦で基準排水量
6,500
d、速力23ノット、武装は15センチ砲12門、8センチ砲12門、魚雷発射管3門を搭載した当時の最新鋭艦でした。 竣工当時はバルト海に配備されましたが、1902年対日関係が緊迫する極東旅順艦隊に配備されました。 2年後の1904年2月8日朝鮮半島仁川港港外にて僚艦コレーツと共に待ち構えていた装甲巡洋艦「浅間」を初めとする優勢なる日本艦隊と砲撃戦の末、大きな損害を被り多数の死傷者がありながらも仁川港内に逃れ、ルードネフ艦長は戦闘を断念し「敢えて敵の手に渡るよりは名誉ある自沈の道を。」とキングストン弁を開き自沈しました。
 キットは本家ロシアのメーカー ズヴェズダ −ZVEZDA− 社よりインジェクションキットとして日本海海戦から100年目にあたる2005年に発売されました。日本ではハセガワが同スケールで「三笠」を発売、また同じロシアのメーカーであるイースタン・エクスプレス社より「ボロディノ」、「クニャージ・スウォーロフ」が発売されるなどちょいとした日露両海軍艦艇ファンにとっては嬉しい限りでした。

船体はフルハル一体成型で左右分割方式。プラの材質はちょいと柔らか目です。 船体をガッチリ接着したらシャフトブラケット類を取り付けますが、一体成型のシャフトはそのままでは軟弱野郎?ですから硬派?な真鍮線に交換。
ビルジキールもキットパーツを使用せず0・5ミリプラ板でシャープに仕上げます。

甲板は見事な木目モールドが施されていてワァリャーグに対するメーカーの意気込みが感じられます。作る側もメーカーに敬意を表し、気合を入れて面送筆にてチマチマ筆塗り。使用した塗料はスペインのヴァレホ社製水性アクリル塗料を6色使用しました。 
甲板端部や構造物外周はウッドブラウンを筆塗りします。


船体の塗装はエアブラシ吹付け。白の乾舷にグリーンの船底色は実に鮮やか。グリーンはミスターカラーのディトナ・グリーンです。 
厄介なのが4本の煙突、前方のラッタルモールドの関係からか前後2分割となっていて側面中央部に接合面が生じます。
パテ埋め処理を行いますが平滑に仕上げるにはチョッチ骨が折れます。
 ここはキットを作ってみた人でないとわからないかも! ネッ、kudopapa殿

羅針艦橋の内部。 製作開始してから暫くしてゴールドメダル社より「ワリヤーグ/ボロディノ級」用のエッチングパーツが発売されました。 
ラッタルや手摺り、ラット・リンは勿論の事ですが、特筆すべきは艦橋ハウス本体と舵輪、羅針儀等もパーツ化されている事です。
 手持ちの資料を基に艦橋内部をデッチアップ。鮮明な写真があり床面はご覧の通りのフローリング。 
スクリーントーンをプラペーパーに貼り付けています。天蓋をつけるとほとんど見えなくなっちゃうんだけどネ。

艦橋外周です。 
窓ガラスはOHP用の透明エンビシートを使用しています。
 窓枠と手摺り上部、ハウス上部外周はマホガニーで仕上げています。

船首楼甲板両舷の係船桁は右舷側を伸ばした状態にしてみました。 
桁から垂れ下がるジャコップ・ラダーはエッチングのラッタル。

 右舷側からのプロフィール
 聖アンドレイエフ旗はキットの付属シートを基に雁皮紙(がんぴし)に描きました。

 船首楼甲板艦橋と第1煙突附近のクローズアップ。
白い船体に紅の艦首旗(ジャック)が誇らしげに旗めきます。手摺りの外側の天幕支柱は専用エッチングパーツ、ラット・リンはジャコップ部分を黒、ターンバックルは白で塗装しました。 羅針艦橋甲板両舷の舷側灯は省略されているのでプラペーパーで自作しました。

艦中央部附近
 黄色の4本煙突が一際映えます。 
キセル型通風筒は当時の写真を見ると圧倒的に煙突と同じ黄色に塗装されている写真が多く、キットのインストにも黄色に塗る様に指示されています。
 しかし竣工時の写真を見ると船体同様白となっている事やkudopapa様の作品との比較?として国親父のバージョンでは白塗装としました。 
両舷にズラリと並ぶ艦載艇も出色な出来で汽艇と大型カッター用ダビット、カッター類の舵とオールはエッチングパーツ、汽艇は煙突本体を真鍮パイプと極細銅線で作り替えましたが、特にディティールを追加しなくても木部を丁寧に塗り分けるだけでも充分な出来です。 
ファンネル・ガイ(煙突支索)やリギング類はルアーフィッシング用のテグス、取り付け部分のアイボルトやリングは鉄道模型の割りピンを使用しています。

第4煙突後方附近
 長大なキャット・ウェイの取り付けも軟弱なプラ素材ゆえ結構難儀でした。特に各支柱を垂直に立たせる事には苦労しました。
 天窓を一部開状態にして変化をつけてみました。
艦橋の窓ガラス同様に内側から極薄エンビシートを貼り舷窓部分は白塗装の後、デザインナイフで塗膜を剥がし真鍮地金を再現していますが…。

ちょっと画像ではわかりにくいかも。

後部艦橋附近 
艦橋直前の15センチ砲近くにある昇降ハッチは内部の階段がモールドされていますがハッチ蓋がありません。 
このままでは荒天時の航海では
海水が浸入し沈没必至! 全てのハッチにプラペーパーで蓋を作りました。 
3箇所を開状態にしてヘッドガードと留め具は0.1ミリの銅線で製作しています。 
ちょっとピンボケですけどウィンドラスも白黒ストライブ使用?としています。

艦尾附近のアップ
 スタンウォーク類は全てエッチング製、こうした部分はエッチングに勝るものはないのでは。

最端部にはロマノフ王朝紋章である「双頭の鷲」が誇らしげに輝きます。

艦載艇を係留する為に右舷側の係船桁を張り出す。
停泊地での一コマ。
フランス海軍艦艇の影響が多いロシア海軍の中にあって、アメリカ生まれのワァリャーグは直線的でスマートな艦影です。
コンパクトな艦橋
船首楼甲板と林立する直立型煙突は20年後に登場する我が日本海軍の5,500トン型軽巡にも共通するシンプルな艦影で見飽きる事がありません。

左舷前方
スマートで鮮やかで貴賓に満ちたその艦影は旅順艦隊に配備される直前、長崎に寄航しました。
我国国民にとっては「大いなる脅威」であり、中国大陸に進出したロシア人にとっては「頼もしき味方、助人。」であったでしょう。
前作「ボロディノ」とのツーショット
 ズングリした戦艦とスマートで軽快な巡洋艦との違いが歴然です。
私見ですが20世紀初頭欧米列強の帝国主義の下、植民地政策を進める上で海軍の主役は巡洋艦であったのではないでしょうか。


エピローグ

日露戦争劈頭、優勢なる日本海軍との戦いに敗れ自沈を余儀なくされたワァリャーグですが、1年後に浮揚され修理を行い「宗谷」と命名され、その後はロシアに変換され第1次大戦に参加し、1917年イギリスのリバプールでボイラー修理中にロシア革命が起こり、イギリス側に接収され補給艦となり使用されていたが座礁事故により1921年にはスクラップとなりその生涯を閉じました。
 仁川沖海戦で生き残ったルードネフ艦長以下乗組員は帰国後ニコライ1世から「英雄」として称えられ、後に親露的なドイツの詩人がその栄誉を讃える詩を発表すると翻訳作曲されロシア海軍の軍歌として第2次大戦中はもとより現在でも歌われています。

 また現在は太平洋艦隊に所属するスラヴァ級ロケット巡洋艦にその名が引き継がれ、数年前には海上自衛隊創設50年記念観艦式にも参加した事も記憶に新しい事です。

製作:国親父座郎